「ユダヤ人ナチス」サロモン・ペレルさんの講演会

サロモン・ペレルさん

すでに2年も前のことになりますが、
2020年1月31日、京都でとても貴重な講演会がありました。
この記事は、お話を聞いた当日にまとめたものです。

残す価値のあるものだと思ったので、
広く知っていただきたく、このブログにも書き残します。
以下、当時SNSに投稿した原文をほとんど変えることなく再掲載しています。

 

サロモン・ペレルさんって?

心を動かされたので投稿させてください。
講演者は、サロモン・ペレルさん(現在は、Sally Perel さんとして活動)、94歳(投稿当時。現在は96歳。)
ナチス占領下の時代をナチスの一員として、生き抜いたユダヤ人です。

ドイツでユダヤ人のご両親の元に生まれました。
第二次世界大戦期のナチスのユダヤ人迫害で両親を失い、
ご自身は出自を偽ってドイツ人としてヒトラーユーゲントの一員として生活。

出自がバレたら殺されるという特異な環境下で4年以上も生活し、終戦。
現在はイスラエルで作家として活動されています。

個人的に、ナチスドイツのホロコーストには学生時代から興味があり、
関連する映画を何本も見たり、記事を見つけては目を通したりしていたのですが、
ユダヤ人であるにも関わらず、ヒトラーユーゲントの中で生き延びた方がいるのは知りませんでした。

驚くと共に、実際にその過酷な体験をされたご本人のお話を伺えるとは…
印象に残ったお話がいくつもあります。

ペレルさんの講演

両親との別れ

両親との最後の別れ(この時若干16歳)の時に、
父からは「お前はお前であれ。ユダヤの神を信じよ
(お父様は敬虔なユダヤ教の聖職者だったそうです)
母からは「必ず生き延びなさい」という助言をもらった。

生きる権利は、どんな信仰よりも尊い

孤児院で生活した後、ロシアのミンスクへ逃げたが、そこでナチスに捕まった。
その場でユダヤ人だと正直に言うと、
5分以内には自分が死ぬことがわかったので、
とっさに母の助言を思い出し「ドイツ人だ」と言った。
父の教えを信じるか、母の教えを信じるか、とても究極の選択を迫られた。
しかし、今思うのは、
生きる権利は、どんな信仰よりも尊い。」ということ。

どうしても見せられない身体

もともと、ユダヤ教徒だったので割礼(性器の皮の一部を切り取る儀式)を済ませていた。
ユダヤ人だとバレると殺されるため、
絶対にヒトラーユーゲントの他のメンバーに自分の裸は見せられなかった。

しかしある日、シャワーを浴びようと服を脱いだ瞬間に、
突然、ある仲間(ドイツ人)に抱きしめられた。

その時、彼が私に何をしようとしたのかわかった。
(おそらく性的関係を結ぼうとした。)

私は必死に振りほどいたため、未遂で済んだが、
私は自分の裸を見られてしまった。

彼はゲイだった。

当時、ユダヤ人と同様に、
ゲイを含むホモセクシュアルの人々も迫害の対象となっていたため、
お互いにお互いの秘密を守った。

彼は尊敬されるべき素晴らしい人だったが、ある戦いで戦死した。
私はゲイではないが、もしも今、彼から同じことを迫られたら、
私はYESと受け入れていたかもしれない。

アーリア人の特徴とは

ヒトラーユーゲントで人種の授業があった。
顔のサイズや目の間隔などを測られて、特徴を学ぶ。

私の顔もあちこち長さを測られて、いよいよユダヤ人だとバレると思った。
しかし先生は「典型的なアーリア人の特徴です」と言った。助かった。

兄との再会

兄も戦争を生き延びた。兄はユダヤ人として、強制収容所にいた。
幸運にも、ナチスは完璧にドイツ語を話せるユダヤ人を探していた。
兄は完璧なドイツ語を話せたので、助かった。
戦後に再会したとき、兄は囚人服、
私はナチスのヒトラーユーゲントの制服姿だった。
その後、40年一緒に暮らした。
兄は、私にとって兄弟ではなく、「」だった。

信仰はない

現在は、私に信仰はない。私は自由なユダヤ人だ。
本当にユダヤ教の神がいたならば、
何百万人ものユダヤ人が殺されたはずがない。
信仰はなくなった。

信じれば現実になる

当時のヒトラーユーゲントの仲間とは戦後もしばしば会った。その度に、

「どうしてユダヤ人とバレると殺されるという状況下で耐えられたのか?」
「不安はなかったのか?」
「ヒトラーユーゲントで積極的に学び続けるモチベーションはどこにあったのか?」

と聞かれた。
私は、答えた。

「バレるはずがない。私は心の底から、私はドイツ人だと信じてそこにいたのだから。」

ユダヤ人でもあり、ヒトラーユーゲントでもある

ユダヤ人を愛している。それと同時にヒトラーユーゲントにも愛情を持っている。
どちらも私をつくっている。

思想が変えられたことにたいして憎しみも悔いもない。
なぜならば、母の教えを守ることができたからだ。

両親と別れたあの頃の自分には戻れない。
完全なユダヤ人には戻れない。私の中には間違いなくヒトラーユーゲントで受けた教育が残っていて、
それは今も抜けないし、死ぬまで抜けることはないと思う。

私は幸せな人間。歴史を繰り返してはいけない。

私は幸せな人間だ。家族がいて、子供も孫もいる。そして、母の教えを守ることができた。
近頃のドイツでは、ナチスドイツが起こる前にあった、政治家関連の事件や暴力事件が、しばしば起きている。
似たようなことが起きている。当時も些細な、誰もあまり気にしていなかったようなことから始まり、
ナチスが第1党になって、ホロコーストが起こった。歴史から学ぶべきで、繰り返してはいけない。

お話を聞いて

ここからは、私、あやの個人的な感想ですが、
時代に翻弄されて、自らのアイデンティティを別のものに置き換えなければ
命をつなぐことができないような過酷な環境で、ペレルさんが生き延びられたことに敬意を表します。

またそれを、実際の体験談としてご本人の言葉を通して知ることができたことは、
とても貴重な体験でした。

全編ドイツ語で、同時通訳を通して内容を知ったのですが、
唯一「(40年間過ごす間、)兄は私の兄弟ではなかった。父でした。」という部分は、
英語と似ていたためか、ペレルさんの言葉がすっと入ってきて、
私にも通訳なしで、意味が理解できました。

その瞬間、涙が止まらなくなりました。

ホロコーストのように、人種や障害の有無、性的指向によって
人が迫害されることはあってはならないこと。

人間はみんな同じ人間です。

感情もあるしそれぞれ考え方も好みもある。
得意なこともあれば、苦手なこともある。

それぞれ違って当たり前だから、
お互いが尊重しあって幸せに生きていけるような世界をつくっていかないといけないと思います。
改めて、こういった大きなテーマについて考える機会をいただけたことに感謝します。

なお、ペレルさんの生涯は、
「僕を愛した2つの国 / ヨーロッパヨーロッパ」
という映画作品になっているそうです。

ペレルさん自身も100回以上ご覧になったそうですが、
毎回、涙無くしてはご覧になれないそうです。

長文になりましたが、
1人でも多くの方に知っていただきたくて、投稿しました。
拙文ですが、お許しください。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

I listened to the lecture meeting by Mr. Solomon Perel who is an Israeli author. He is a Jewish but he escaped persecution by the Nazis by masquerading as an ethnic German.

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以上が、当時投稿した内容です。
今、思ってもとても貴重な講演会でした。

あとがき

実際にあれから勉強したことやアウシュビッツの強制収容所に足を運んで学んだこともあり、
最後の私の感想については、少しこの2年で変化しています。

今読むと、私の感想は、きれいごとを並べてしまっているな…という感覚です。
ユダヤ人迫害のきっかけも、単なる人種差別ではなく
政治的な思惑や国家間の問題が絡んでいるものであるからです。

もちろんいうまでもなく、他者を尊重すべきであり、
人種や性的指向、宗教や文化等によって差別される人がいてはならないという思いや
平和を願う気持ちには微塵も変わりはありません。

当時はポーランドに住むことになるとは想像もしていませんでしたが、
私が引き寄せられるようにポーランドにきたのも、何かの縁かもしれません。